永澤寺開祖通幻寂霊禅師の生誕地は京都、北九州、山陰説などありますが、学者の研究調査によると豊後国東郡武蔵郷(平成18年4月に合併された大分県国東市国東町治郎丸)説とするのが間違いないとされています。
 念願叶いこの地を訪ねることができました。
   大分空港から国道213号線を別府方面とは反対の国東半島方面へ車で20分も走った所に治郎丸という地区がありそこには川幅の狭い治郎丸川が流れています。その川の脇道を上流(左折れ)に向かって7、8分も行くと左手に台地がありマキやイチョウの大木の間から小さなお堂が見えます。
 
 
   このお堂は約800年前に開かれ、江戸時代に廃寺になったという阿弥陀寺の跡地に建てられており、お堂を管理されている田原聰昭様の好意で鍵を開けていただき中に入ると、ご本尊として阿弥陀様が祀られておりました。
   阿弥陀寺跡地の隅には古い墓石がたくさん残っており、一見してここが墓地の旧趾であったことが想像できます。通幻禅師はお墓の中から生まれられたと伝えられていますから、阿弥陀寺が開かれて117年後にこの地でお生まれになったということになります。
 阿弥陀堂入口の右手には、昭和60年に上治郎丸老人クラブにより幅50cm高さ2m位の黒御影石に「通幻禅師生誕之地」と彫られた顕彰碑が建てられており、遠くからでもこの碑が見えるので迷うことはない。
 また、碑の近くには通幻寂霊禅師略年譜の表示板があり、1322年に禅師が誕生されてから1391年に遷化されるまでの間の重要な事柄が記されており、1374年・摂丹境(兵庫県三田市)に青原山永澤寺を開創と明記されていました。
 永澤寺では平成6年に通幻寂霊禅師の600回忌の大法要を大本山總持寺貫首梅田信隆禅師にお勤めいただきましたが、顕彰碑の文字は梅田禅師が書いておられたので特別の因縁を感じ気持ちが昂りました。
 通幻寂霊禅師の流れを汲む寺は全国に8900ケ寺あるといわれています。永澤寺に縁のある方や通幻禅師に縁のある方々が大分県へ行かれた時には、ぜひともこの地を訪ねていただけるように伝えていきたいという思いをあらたにして治郎丸の史跡を後にしました。
   
 
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