平成十四年春、曹洞宗の古寺永澤寺に四体の仁王さんが誕生いたしました。
四体の仁王さん?と、不思議に感じる方も多いかと思いますが、筋肉隆々の力強い阿形・吽形像の裏側、背中合わせにもう一組の仁王さんが安置されたのです。
この仁王さんは、優しい観音様のお姿をしています。怖いお顔で山門に立つ仁王さんの、本当の気持ちを想像して誕生を願ったのです。
「那羅延金剛内心佛」「密迹金剛内心佛」と御住職に名付けていただきました。
お寺さんに詣でて、最初に出会うことになる仁王さん。皆さんによく知られた存在なのですが、怖いお顔と振り上げた武器で、子供達や悩みを抱えた人達には、少し近寄りがたい佛様として印象に残っているのではないでしょうか。
仁王さんの本来の姿は全ての天部を統率する須弥山の帝釈天王とされ、穏やかな優しい王として説かれています。しかし、一旦事有れば直ちに強大な力を持った武人「執金剛神」に変身して天部の武将の指揮を執り、さらにその姿は「那羅延金剛」と「密迹金剛」の二天、すなわち仁王に変身し、佛国土を護るとされています。
「執金剛神」が二天に分かれることにより、門の左右に祀り易くなり、佛法守護の意味合いが強くなりました。紀元前二世紀のインドには、一対になった作例(バールフッドの浮き彫り)がすでにあり、現在、私たちになじみ深い山門の仁王さんが完成したのです。
力の強さ、用心棒的な強さのみが強調されてきた仁王さんですが、この内心佛の誕生には、本来備わっていた仁王さんの優しさを思い、厳しい障害や試練(恐ろしい仁王像)に勇気を持って対峙し、その奥の本当の意味する所(内心佛の姿)を感じ取る願いが基となっています。
今回の内心佛誕生には誠に不思議な状況の中で、いくつかの要素が重なり実現しました。これは佛の意思と言えるかもしれません。
一つには、御老師の大病があります。心臓の鼓動を止め命を機械に託しての極限の手術、そして生還。麻酔のさめやらぬ
状況の中で感得された優しくいざなう様な仁王さんのこと。その感動の状況を目の当たりにしつつ体験を伺えることが出来た佛師の私と戴方。
そして、戴方のかねてより抱いていた、仁王尊胎内佛構想との一致。私の長年の懸念であった仁王尊像裏側の空間の問題等が一本の線上につながり仁王内心佛が誕生したのです。
山門に於ける仁王尊像の裏側の空間は、長い歴史が有りながら、定まった利用目的が無く、狛犬、絵馬、ワラジと間に合わせ的にしか使用されていませんでした。まさに、今回誕生の「那羅延金剛内心佛」「密迹金剛内心佛」のため、数千年の間安置の場所が空けられていたような気がしてなりません。
帝釈天の変身が阿、吽二体の仁王尊を産み、二二〇〇年の時を経て、この度、四体の仁王さんに変化しました。
これが永澤寺様式仁王尊の誕生です。
数百年後、仁王さんと言えば、内心佛も含め四尊一具の状態を指し、山門の空間は、内心佛様が暖かく微笑む場所として定着し、これが代表的な仁王尊配置として永澤寺様式が確立されているのではないでしょうか。
|