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通幻禅師は總持寺二世峨山韶碩禅師の門に入り、35才にして法を継ぐことを許され總持寺の五世に就いた。都合四度も總持寺住職を勤めるほど秀でており、53才の時、後円融天皇に請われ永澤寺の開祖となった。69才の時、後を弟子に譲り退院し70才で亡くなった。禅師の指導は厳しく「文字点検」「活理コウ」を以ってする教育は雲水を震えあがらせたといわれ、「通 幻十哲」と呼ばれる優れた10人の弟子が相次いで住職を勤めたあと、各地へ出向いて教えを広めた。 十哲が暦住の後、一人一年の輪住制が二百五十代まで続いたが、独住制の短所が顕著に表れるようになったため一燈恩易禅師が18年間住持し再興した。以後、徳川時代より独住制となり、現在は開祖より二百七十四代目、独住二十四世である。(通 幻寂霊禅師木像・開祖堂) |
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道元禅師の著書『正法眼蔵』を、享保3年(1718)から3ヵ年にわたって書写 した眼蔵研究の貴重な資料である。 |
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通幻禅師の本師である峨山禅師が貞治2年(1363)に永平寺に於いて識された肉筆の書である。 |
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