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2002年10月25日
 檀家の真造芳章、三智子ご夫妻の長男佑太君がお宮参りに続いてご先祖様へお参りされました。
 おじいちゃん、おばあちゃんも揃って記念撮影です。
 80戸にも満たない檀家ですから、数年に一度のうれしいお参りです。
 佑太君がスクスク元気で成長するようにご祈祷してお守りを授けました。
 
2002年10月4日
 9月から県立北摂三田高校にオーストラリアから長期留学したローラーさんとニュージーランドから補助教員として赴任したアビリーさんが山城校長の案内で訪ねてくれました。
 同校は開校されて17年になりますが、わたしも同校のお世話をして17年になります。
 同校の邦楽部(筝曲)が8月に神奈川県秦野市で開催された全国大会で「日本一」になりました。また、7月に三田市の姉妹都市韓国北済州郡との親善音楽会が済州島で開催され、両大会共ご一緒させていただき楽しい思い出が出来ました。
 
2002年7月16日
写真の木は幹や枝に乳状のコブが出来るところから「チチイチョウ」と呼ばれています。このコブをなぜるとお乳の出が良くなるという言い伝えがあり、産後の母親に親しまれております。
 この木は伊丹市で造園業を営んでおられる荒東秀典氏が福岡での仕事の帰りに求められたものを寄贈して下さいました。
 荒東家のご先祖様が江戸末期頃に出家され永澤寺で修行されていたということで、機会ある度に参拝されており、こんなご縁で境内に珍しい木が増えました。  開祖・通幻禅師のお母さんは禅師を生んですぐに亡くなったと伝えられています。この「チチイチョウ」は開祖様へのプレゼントかもしれません。
 
2002年6月12日
「ルンビニーのマーヤー堂の前にある佛足石の拓本です。 採拓は小田玉瑛という方、監修は前田行貴という方で日本に2枚しかない貴重なものです」という出入業者の言葉を信じて平成3年に大枚を投じて求めてから本堂の床に掛けております。
 仁王尊の開眼を記念して「佛像彫刻展」を開催しましたが、会期中に大佛師・渡邊勢山師の関係者80名程が集まって祝宴を開きました。その席で佛師から紹介されたのが前田、小田先生でした。
 両先生は自分が携わった拓本が永澤寺にあることなぞご存知ありません。私もお二人の先生がどのような方か知りませんでした。
 事の成り行きを説明して案内しますと「これは私が採拓したものに間違いありません」後は、冒頭の説明の通りでした。仁王様のご縁で疑心暗鬼の私の心は晴れました。
 このたび、小田先生より著書に添えてこんな手紙を頂戴しました。 「前略、先般 、渡邊勢山佛像展のおりお世話になりました。不思議な御縁で採拓した佛足石にも巡り逢えて倖せでした。 佛像展もさること乍ら御蒐集のガンダーラ佛に各別心引かれました。 またいつか拝ませて頂きたく、その折はよろしくお願い申し上げます。云々・・・小田玉瑛」
 佛足石拓本については寺宝のページをご覧ください。また、小田玉瑛、前田行貴先生については検索エンジンでご覧下さい。
 
2002年2月12日
 写真のお二人は兵庫県立北摂三田高等学校にオーストラリアから留学中のジェシカさんと山城校長先生です。
 わたしの次男が同校の第1期生という縁で当時の校長から要請され、平成2年に国際親善協会を創りお世話をしています。
 平成6年にシドニーから車で1時間半くらいの土地にあるセントコロンバス校へ行き姉妹校の調印をしました。 それ以後、両校から1名ずつの長期留学生を交換し、夏には2週間の短期研修も続けています。
 彼女は昨11日に帰国したので、その前にわざわざ離校の挨拶に来てくれた時の記念写真です。
 英語を読むことも、書くことも、話すことも出来ないわたしですが、結構楽しくお世話をしております。
 
2002年1月7日
佳き年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
おだやかな天候の大晦日には除夜の鐘を撞きに来る方々が近年では最高の人数で準備した甘酒が不足するほどでした。
一転して,元旦は雨、2日は雪、3日は凍結という厳しい寒さと風で参拝者も少なく静かなお正月でした。
おかげで、恒例の「箱根駅伝」をゆっくりテレビ観戦ができ、我が曹洞宗立でわたしの母校である駒澤大学が総合優勝して大喜びいたしました。  さて、本年は平成10年に発願し多くの皆様にご協力いただいた仁王様が完成し、4月20日に「開眼法要」を厳修できるようになりました。この慶事を記念して永澤寺と当寺の仏像を数多く造顕した勢山社とが共催して「永澤寺のほとけたち」と題する「仏像彫刻展」を4月21日から5月6日まで開催いたします。
大行事をひかえ初春より馬の如く駆け巡りますので、本年もよろしくお願い致します。
 
 
   
 
 
 
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